1 :征夷大将軍 ★:2022/10/20(木) 22:33:08.98 ID:7wQDX2Zj9
カテゴリ: プロレス
【プロレス】 頸髄損傷で療養中の大谷晋二郎、半年ぶりに缶コーヒー飲み歓喜「病院の外の世界にはこのような感動が…」
1 :朝一から閉店までφ ★:2022/10/18(火) 10:36:56.81 ID:3383/Nsy9
2022年10月17日 13時10分スポーツ報知 # 格闘技# 話題
4月の試合中の事故で頸髄損傷の重傷を負い、療養中のZERO1の大谷晋二郎が17日、自身のツイッターを更新。半年ぶりに大好物の缶コーヒーを口にしたことを明かした。
この日、「僕は缶コーヒーが好きだ! そんな缶コーヒーを先生から許可をいただき半年振りに口にした」と報告した大谷。
「美味い…恐ろしく美味い 美味さが感動に変わる 病院の外の世界にはこのような感動がたくさんあるに違いない 1本の缶コーヒーがそう教えてくれた」と続けていた。
大谷は4月10日、ZERO1の東京・両国国技館大会のメインイベントで負傷し、現在、療養中。8月中旬にリハビリに専念できる体調まで回復。都内のリハビリ専門病院に転院している。
https://hochi.news/articles/20221017-OHT1T51062.html?page=1
【プロレス】アントニオ猪木さんのベストバウト発表 ユーザーアンケートの結果は?
1 :フォーエバー ★:2022/10/12(水) 17:44:59.57 ID:CAP_USER9
10/12(水) 6:00配信
日刊スポーツ
【イラスト】読者アンケート・アントニオ猪木のシングルマッチ名勝負ランキング
アントニオ猪木さんのベストバウトはどれだ? 日刊スポーツ新聞社は7日午前7時から9日いっぱいまでウェブアンケートを実施。ユーザーの皆様から合計1387票の投票をいただきました。ありがとうございました! 全順位をイラストで発表するとともに、皆様からいただいた1〜5位のコメントを紹介します。
【写真】藤波辰爾に卍固めを見舞うアントニオ猪木
■1位183票 <IWGPヘビー級選手権:藤波辰巳(時間切れ引き分け)アントニオ猪木>◇1988年8月8日◇横浜文化体育館
「当時会場で試合を観ていましたが新日本プロレス史上に残るベストバウトだと思います。技と技、心と心、お互いの持っている全てを出し切った究極の師弟対決!足4の字固めをかけられた猪木の『折ってみろこの野郎!』とやられているのに凄い気迫を見せてくれた猪木。そして、試合後に弟子の藤波の成長を認めて腰にベルトを巻いてあげた猪木に感動しました。」(50代男性)
「60分フルタイムで引き分け当時テレビに釘付けだった」(40代男性)
「85年9月の藤波辰巳戦もベストバウトです」(50代男性)
「試合内容はもちろん素晴らしいものでしたが、試合後にベルトを装着してあげた猪木さんの姿、試合後の長州さんと越中さんの肩車、猪木さんの涙も含めて、私の中のベストバウトです」(50代男性)
「試合内容だけでなくこの試合に至るまでのプロセスから試合後の肩車までの全てで評価」(50代男性)
「60分時間切れ引き分け試合後、握手抱擁。最後猪木選手を長州選手、藤波選手を越中選手が肩車。辻義就アナが古舘さん猪木が泣いていますとリポート。感動的なシーンでした」(40代男性)
「"真夏の60分フルタイム。チャンピョンとチャレンジャーの立場が入れ替わり、初の師弟対決。2人の闘いに目頭が熱くなった。勿論選出されているのは全てが名勝負だが、日付もわかりやすく、1試合のみ選ぶとすればこの試合になる」(50代男性)
「この試合は実質的に『燃える闘魂・猪木、最後の試合』と言っていい、猪木プロレスの最終回と思えた試合だった。引退は明言しなかったが、試合後『これで最後なんだな』と思え、涙が止まらなかった(50代男性)
「昭和プロレスの最終回。猪木、藤波共に試合迄の過程も良かった」(50代男性)
「猪木の様なプロレスラーは今後出てくる事はない。プロレスファンのプロレスの見方が変わってしまった事が全てである。昭和のプロレスは少なくともファンが強さを求め、勝ち、負けにこだわっていたからだ」(50代男性)
「最後の肩車は自発的に出たものでもシナリオでもどちらでも感動意外のなにまのでもない」(40代男性)
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https://news.yahoo.co.jp/articles/90f58e8ff98cf78643724bda29cb306ae010b95f
【プロレス】あまり人前で歌わなかった猪木さんが…ビガロを前に突然リング上で歌いだした!
1 :愛の戦士 ★:2022/10/12(水) 09:45:49.72 ID:CAP_USER9
東スポWeb 2022年10月12日 06:15
元アントニオ猪木番記者が〝昭和〟の燃える闘魂を振り返る第9回。猪木さんがリング上で口ずさんでいた曲はなんと…。
1980年代はカラオケボックスなどなかった時代。猪木さんの歌は、残念ながら聞いたことがない。宴席の余興では歌が得意な木村健悟らの出番で、猪木さんがマイクを握った姿を見ることはなかった。
うわさによると、軍歌の「若鷲の歌」〝若い血潮の予科練の 七つボタンは桜にいかり——〟を歌ったとか。実際に聞いたことがある後輩記者によると「うまくもなく下手でもなく、フツー」で「大仁田(厚)さんのほうが断然うまい」とのことだ。
もっとも、正確にいえば猪木さんの歌は聞いたことがあるということになる。クラッシャー・バンバン・ビガロが、WWF(現WWE)に参戦して新日本プロレスのリングに戻ってきた時のことだ。タッグマッチでビガロと対戦した猪木さんは突然リング上で歌いだした。
〝バーンバーン ビガロー バーンバーン ビガロー〟
WWFでは選手のテーマ曲がつくられる。WWFで流されたテーマ曲をいきなり目の前で歌われたビガロは、びっくりしてオロオロしていた。猪木さんはそんなビガロを見て大喜び。何度も〝バーンバーン ビガロー〟と繰り返していた。猪木さんの歌(?)はこれしか聞いたことがない。
そして評判通り、歌唱力は可もなく不可もなしだった。(元プロレス担当・吉武保則)
東スポWeb
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/241667