リース速報

2ちゃんねるのスポーツニュース、芸能ニュースを適当にまとめてるよ。

カテゴリ: 卓球

1 :鉄チーズ烏 ★:2018/07/10(火) 07:20:18.41 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/K3lLPpZ.jpg  今年の全日本選手権を史上最年少で制し、五輪の金メダリストたちも次々と撃破。張本智和選手は、弱冠15歳ながら名実ともに日本ナンバーワンに上り詰めた。メディアは当然、その成長過程を知りたがる。すると、彼の地元、仙台に残された遺恨に突き当たるのだ。

 張本選手は、2020年の東京五輪を17歳で迎える。

「目下のところ、メダル候補の最右翼です」

 そう語るのは、スポーツ紙の五輪担当記者。

「6月のジャパン・オープンでは、リオ五輪金メダルの馬龍や12年ロンドン五輪で金の張継科といった中国選手を破って初優勝しました。勢いはまだまだ続くと思われるので、各社、張本選手の生い立ちから取材しているのですが……」

 と、口ごもる理由は、

「彼が小学生時代に所属していた、仙台卓球センターの『仙台ジュニアクラブ』にあります。ここはかつて、福原愛ちゃんもいたんですよ。クラブ代表だった狭間善次さんはこれまで、様々な取材をさせてくれました。でも最近は、“一切、張本のことは喋らない”と取材拒否を貫いているんです」

 いったい、どんな事情があるのか。狭間、張本の双方を知る関係者が明かす。

「実は、狭間さんと張本家のあいだで金銭トラブルがあったんです。狭間さんは古くから、不動産業のかたわら卓球教室をやっていました。そしていまから20年前、中国でプロ卓球選手だった張本くんの両親を招いた。福原愛ちゃんの親御さんの紹介でした。2人を社員にし、卓球の指導にあたってもらったわけです」

 父親は宇(ゆ)さん、母親は凌(りん)さん。彼らの息子の成長とともに諍いの芽も膨らんだ

■写真も燃やされ…

 どういうことかというと、

「張本くんが強くなり、彼だけが出場する大会が増えました。そこに同行する宇さんを、狭間さん側は“保護者として行っているだけだから仕事ではない”とした。挙げ句、給料のカットを通告して、センターも使用禁止。夫妻は会社を辞め、2年前に『張本卓球場』を開きました。かなりの生徒がそっちへ移りましたね」

 この喧嘩別れには、物騒な噂までつきまとう。

「センター内に歴代大会入賞者の写真が飾られていました。張本くんのも当然あり、凌さんが写真を引き取りたいと申し出た。すると狭間さんは断り、燃やしてしまったというのです」

 ここは事実関係を当人たちに確認するしかあるまい。まず、狭間氏に接触すると、

「取材はお断りしているんです。別れるときに嫌なことがあったんだけど、その内容は差し控えたい。でも、“給料を払わない”とは言っていない。凌さんだけが残ってコーチする機会が増えたから、凌さんの給料は上げると言ったけど、折り合いがつかなかった」

 とだけ語り、手でバツを作って口を噤んでしまった。一方の宇さんの話。

「私からするとクビだけど、あっちはクビじゃないって言う。でもどちらが正しいかは周りの人が知っています。それでいいじゃないですか。センターが使えなくなって苦労したけど、いまはここでやれているから」

 両者はいまも大会などで一緒になるが、挨拶はおろか、目も合わせないという。

 張本選手の父親と給料カットマンの因縁はかなり根深い。ピンポン外交で和平とはいかないようだ。

ワイド特集「梅雨の晴れ間」より

週刊新潮 2018年7月5日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07100559/?all=1

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1 :Egg ★:2018/06/10(日) 13:05:29.59 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/lpt.c.yimg.jp/amd/20180610-00000097-spnannex-000-view.jpg ◇卓球・荻村杯ジャパン・オープン最終日(2018年6月10日 北九州市立総合体育館)

男子シングルス準決勝で、世界ランク10位の張本智和(エリートアカデミー)が、同8位で17年世界選手権銅メダリストの李尚洙(韓国)を4—2で下した。
午後4時30分開始予定の決勝では、12年ロンドン五輪王者の張継科(中国)と対戦する。

9日の準々決勝で16年リオデジャネイロ五輪王者の馬龍(中国)を撃破した14歳には、もう恐れる相手はいない。
「あと2試合勝って、優勝したい」と意気込んでいた通り、この日も世界大会のメダリストを粉砕した。

13年大会の塩野正人以来、5年ぶり日本男子戴冠へ、あと1勝。
決勝で対戦する張継科には先週の中国オープンで4—0と完勝。再び金メダリストを破って、タイトルを手に入れる。

6/10(日) 13:00配信

6/10(日) 13:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180610-00000097-spnannex-spo

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1 :サイカイへのショートカット ★:2018/06/09(土) 20:55:18.12 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/d3zwKik.jpg 張本 リオ五輪王者・馬竜を破る大金星で4強!
2018年6月9日 20:40 スポニチ Sponichi Annex スポーツ

馬龍から得点を奪い吠える張本(撮影・会津 智海)
https://i1.wp.com/www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/06/09/jpeg/20180609s00026000411000p_view.jpg

卓球・荻村杯ジャパン・オープン第4日 ( 2018年6月9日 北九州市立総合体育館 )

男子シングルス準々決勝で、世界ランク10位の張本智和(エリートアカデミー)が、同2位で16年リオデジャネイロ五輪金メダルの馬竜(中国)を4—2で撃破した。

4月のアジア・カップで世界1位の樊振東(中国)を破った14歳が、またも大金星を挙げた。試合開始からエンジン全開で3ゲーム連取。第4ゲームは3—11、第5ゲームは2—11で落としたが、第6ゲームが粘って盛り返し、11—6で奪った。

小学6年だった15年10月のポーランド・オープンで初対戦。張本は世界285位、馬竜は1位に君臨していた。「何もできなかった」と言う0—4完敗から約2年8カ月で、その差を一気に縮めて勝利をもぎ取った。13年大会の塩野正人以来、5年ぶり日本男子戴冠へ。14歳の勢いは誰にも止められない。
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/06/09/kiji/20180609s00026000412000c.html

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1 :Egg ★:2018/05/10(木) 00:52:58.93 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/amd.c.yimg.jp/amd/20180507-00010001-sportiva-000-5-view.jpg 「スポーツが求められているのは、政治からの自立です」

写真

 国際卓球連盟(ITTF)の第3代会長を務め、小さなピンポン球で世界をつなごうとした荻村伊智朗(おぎむら・いちろう)さんの“遺言“は、現在のITTF関係者の記憶から消えてしまったのだろうか。

 スウェーデンのハルムスタッドで開催された第54回世界卓球選手権(団体戦)。女子の決勝トーナメント準々決勝で戦う予定だった韓国と北朝鮮が、急遽「南北合同チーム」を結成するというニュースを聞いた時、そう思わずにはいられなかった。

 すでにグループリーグを戦い終えた2つの国が合同チームとして決勝トーナメントの準決勝から参加し、戦わずしてメダル獲得が決まるという理不尽な事態が世界選手権の舞台で起こった波紋は決して小さくない。

 今年4月の南北首脳会談で発表された「板門店宣言」には国際競技への共同出場も盛り込まれたが、今回のITTFの対応はあまりに拙速(せっそく)で、スポーツが政治的な動きに飲み込まれた印象はぬぐえない。1991年の世界選手権幕張大会で荻村さんが結成に奔走した「統一コリア」とは、その経緯と実態がまったく違うからだ。


●「ピンポン外交官」荻村伊智朗の情熱で生まれた1991年の統一コリア

 朝鮮戦争で分断された国家をスポーツでひとつにしようという動きは、1964年の東京五輪の前からあった。国際オリンピック委員会(IOC)が統一チームとして東京五輪に参加するよう勧告し、香港で南北の関係者が会談したが、チームの名称や選手の選抜方法などで意見が一致せず、そのまま協議は打ち切られた。

 その後も1988年のソウル五輪を前に南北共同開催も含めたプランが両国で協議されたが、競技の振り分けなどを巡って紛糾。北朝鮮はソウル五輪への不参加を表明した。そうした交渉のさなか、1987年にITTF会長に就任した荻村さんは、卓球競技だけでも北朝鮮がソウル五輪に参加できる道を探ったが、そのアプローチも苦難の連続だった。

 1988年5月に新潟で開催されたアジア卓球選手権では、大韓航空機爆破事件で国家公務員の日本への入国を禁止していた北朝鮮の選手団を、「政治的な活動を一切しない」という条件付きで参加させた。しかし、朝鮮総連などが主催するパーティーに北朝鮮選手団が参加したことが「政治的活動」とみなされたことに北朝鮮の選手団が反発、大会途中で帰国した。

 翌日の朝刊には『友好卓球 政治のネット』『つまずいた荻村構想』という見出しが躍ったが、荻村さんはあきらめなかった。スポーツをきっかけに、分断された2つの国を結びつけることができると信じていたのである。

 その最大のチャンスを1991年、千葉の幕張で開催される世界選手権に求めた荻村さんは、韓国に20回、北朝鮮にも15回足を運び、統一チーム結成を訴え続けた。

 当時、その理由を尋ねた新聞記者に荻村さんはこう答えている。

「もし、終戦後のヤルタ会談で日本の分断が決まっていたら、当時、中学1年生だった私も何とか日本をひとつにしようと頑張ったはずです。スポーツが政治を動かすことはできない。でも、援護射撃はできる。スポーツの本質を曲げずに、政治が歩み寄りやすい場を設定する。それがスポーツ側にいる人間の力量です」

 当時、両国の関係者による南北スポーツ会談は統一チーム結成に向けて前向きな議論を続けたが、調印式の直前になってこれまでと同じように紛糾した。

「朝鮮戦争が休戦中なのに、どちらかが軍事境界線をまたいで合同合宿を行なうことはできない」「合宿でコンビネーションを高めないと、大会で勝てない。統一チームとして世界に恥をさらすわけにいかない」と、極めて現実的な難題が持ち上がると、荻村さんは日本の自治体関係者にすぐ連絡をとり、長野、長岡、千葉の3カ所で合同合宿をするプランを提示した。他の国の理解を得たうえでITTFの理事会にも議題をあげ、承認を得て統一チーム「コリア」の世界選手権参加を実現させたのだ。

「大会の前日までは、最大限の優遇をします。でも、大会が始まったら、あなたたちは(ITTFに加盟している)108協会のひとつです。いっさい優遇はしませんから」

 大会の開幕直前、荻村さんは南北の指導者や選手たちにそう告げるのも忘れなかった。

つづく

sportiva-spo 5/7(月) 8:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180507-00010001-sportiva-spo

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