1 :(ヽ´ん`) ★:2018/03/31(土) 13:17:08.11 ID:CAP_USER9
2018年03月
【今夜最終回】22年の歴史に幕 「めちゃイケ」らしさあふれる新聞広告 ファンが喜ぶ“仕掛け”連発
1 :ばーど ★:2018/03/31(土) 13:55:25.19 ID:CAP_USER9
『めちゃイケ』最終回 新聞広告も大々的に
きょう31日に22年の歴史に幕を下ろすフジテレビ系バラエティー『めちゃ×2イケてるッ!』。5時間にわたる最終回(後6:30)が放送されるこの日、主要朝刊紙やスポーツ紙に番組の広告が複数掲載され、趣向を凝らした内容にファンは朝から盛り上がりを見せている。
最もインパクトが大きいのは、番組の最後を「卒業」になぞらえ、学生服を着たメンバー全員が卒業式に参加し、岡村隆史が代表してこれまでの感謝を述べるカラー全面広告。岡村のメッセージとメンバー全員の表情は、じっくりと楽しみたい味わいを感じさせる。
毎日新聞のテレビ欄の小枠広告は、一見すると普通の番組紹介の5行文章だが、頭文字を並べると「ありがとう」と視聴者への感謝が込められた。また、朝日新聞のテレビ欄には、さらに工夫された縦長メッセージ広告が掲出。「ナイナイは〜」から始まる文章は、逆から読んでも同じ“回文”となっており、最後まで笑いにこだわる「めちゃイケらしさ」にあふれている。
回文に気づいた人が早くもSNSに投稿するなど、数時間後に迫った『めちゃイケ』のフィナーレに向けて、ファンも一緒になってお祭り騒ぎを楽しんでいるようだ。
3/31(土) 11:38
オリコン
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180330-00000391-oric-ent
【たけし独立問題】たけし新事務所に軍団から初移籍
1 :ストラト ★:2018/03/31(土) 12:47:33.23 ID:CAP_USER9
所属事務所「オフィス北野」から独立し、自ら設立した新事務所で4月1日から活動するタレント・ビートたけし(71)の新事務所「T.Nゴン」に、たけし軍団のメンバーが加わることが30日、分かった。
軍団メンバーの追随が明らかになるのは初めて。
関係者によると、たけしの後を追うのは、〆さばアタル(49)とアル北郷(46)。
芸人としての活動とともに、近年は構成作家として才能を発揮し、2014年から今年1月まで5回にわたって開催された「ビートたけし ほぼ単独ライブ」シリーズでも企画・構成を担当した2人。
たけしにとって欠かせない存在ということもあり、移籍することになった模様だ。
〆さばアタルは1989年に軍団入り。
〆さばヒカルさん(故人)と漫才コンビを組んで活動してきたが、2006年にヒカルさんが亡くなってからは主にピン芸人として活動。
アル北郷は1995年に軍団入り。
長年にわたってたけしの付き人を務めた経歴がある。
たけしは独立に際し、軍団メンバーに「オフィス北野」に残って再出発することを進言し、旗印として旧事務所名を「オフィスたけし軍団」とすることを提案していた。
さらに、軍団メンバーらの今後の活動資金のために、株を処理したり3億円にも及ぶ退職金を残すなど「殿」としての親心を見せていた。
軍団メンバーでは、たけしの思いを受け取ったガダルカナル・タカ(61)らが残留を明言する一方、態度を保留しているメンバーもいる。
しかし、たけしは「軍団を含め、これまで背負ってきたものをいったん下ろしたい。自分の時間を増やしたい」との意向で独立しているだけに、他のメンバーも受け入れるかどうかは不明だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180331-00000001-sph-ent
【TBS】葛西紀明、原田との因縁を初告白!長野五輪で“恨み”爆発「メダルを取らないでほしい」 4月1日後6・30〜
1 :江戸領内小仏蘭西藩 ★:2018/03/31(土) 13:54:42.87 ID:CAP_USER9
葛西紀明、原田との因縁を初告白 長野五輪で“恨み”爆発「メダルを取らないでほしい」
2018年03月31日 12:00
「スポーツ天国と地獄〜今だから話せる!あの名場面のウラ側〜」に出演する葛西(C)TBS Photo By 提供写真
スキージャンプ界の“レジェンド”葛西紀明(45)が、4月1日放送のTBS「スポーツ天国と地獄〜今だから話せる!あの名場面のウラ側〜」(後6・30)に出演。
長野五輪スキージャンプ団体・金メダリストの原田雅彦氏(49)との因縁を初告白する。
五輪8大会に出場し、ソチ五輪では個人・団体で2つのメダルを獲得した葛西。19歳で初出場したアルベールビル五輪(92年)では団体戦4位入賞。続くリレハンメル五輪(94年)では、日本のエースとして団体戦で大ジャンプを飛び貢献。
ところが、最終ジャンパーの原田が世紀の失敗ジャンプに終わり、日本は2位に終わった。
「99%金メダルを獲ると思っていた」葛西はこの結果に落胆。「どんなに失敗しても97・5メートルでは落ちない。先輩でしたけど、蹴っ飛ばしてやりたいと思いました」と当時の心境を語る。
しかし、葛西と原田の因縁はこれで終わらない。「日本で五輪が行われるのは人生で1度だけ」と切り替えて、次の長野五輪(98年)へ練習を積み重ねた葛西は、もちろん代表入りを果たした。
しかし、大会1カ月前にウォーミングアップ中に左足首を負傷。団体戦のメンバーは公式練習の結果を踏まえて代表の8人から4人が選ばれるが、葛西はケガの影響でメンバーに入ることができなかった。
そして、このケガには原田が大きく関わっていた。
葛西を欠いた団体戦で、日本は1回目終了時にまさかの4位と大きく出遅れた。しかし、2回目に原田が137メートルの大ジャンプを成功させるなど、大逆転で史上初の金メダルを獲得。
「自分がいないのでメダル取らないでほしい」という思いと応援したい気持ちの葛藤を抱えながら観戦していた葛西は、因縁の原田が飛び立ったときに思わず絶叫。原田が飛んでから落ちるまである言葉を絶叫していたと初告白する。
二人の間になぜそこまで大きな亀裂が生まれてしまったのか。
番組では「ジャンプ人生で一番悔しい思いをした」と語る葛西の長野五輪の裏側が明らかとなる。また、葛西だけではなく、原田にもインタビューを敢行。葛西の“本音”を伝え聞いた原田が率直な思いを激白する。
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/03/31/kiji/20180327s00074000207000c.html